「見沼散人」の身の丈生活

頑張らない。欲張らない。見沼の里のわび住い日記。
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雨に煙る

今日は終日冷たい雨が止まなかった。

基礎知識も無いまま軽い気持ちで俳句を詠み始め、松束さんにご指導を頂いているが、余りにも初歩的な指摘が多い。
このままだと松束さんに大きな負担を掛ける。
そこで少し基礎の勉強をしようと思い雨の中、図書館へ行って俳句に関する本を探した。

俳句関連の書架にはたくさんの本が並んでいた。
特に歳時記本や芭蕉の研究書など古語絡みの本も多かった。
最初から高尚な本を読んでも理解できない。
比較的分かり易そうな本を2冊借りた。

松井利彦の「やさしい俳句入門」と藤田湘子の「20週俳句入門」である。
いずれも実践的な入門書なので、松束さんのご指導を受けながら、平行して学習していきたい。

作句の心や決り事の他に、著名な句を覚えたり、季語を覚えたりしなければならないようであるが、最近は若い時のような記憶力が無く時間が掛かると思うが焦らずに続けたい。
 
冬雨に心も堅し俳句道  散人
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松束4
平成18年12月9日

目覚ましに濃きお茶飲まん帰り花 松束

眠気覚ましに濃いお茶でも飲もうか。おやっ、躑躅の花だ。君はすっかりお目覚めかい。

「帰り花」は小春の頃の暖かさの中に開く、シーズンはずれの花で冬の季語。返り花・帰り咲・忘れ花・狂ひ花・狂ひ咲などともいう。盛りの花より儚げで可憐な感じがする。

紅葉かつ散る小金井の疏水かな 松束

疎水に枝を伸ばしている桜。小金井公園の前身は小金井緑地。1954(昭和29)年1月14日に開園された約24万坪ほどの都立公園。公園が出来る以前から一帯は桜の名所と知られ、園内には山桜を主体に約2000本ほどの桜がある。近くに石神井川の源流となっている湧水がある。

拙宅から自転車で20分ほど、気軽に行ける散策の場所の一つだ。「紅葉かつ散る」は秋の季語。紅葉する木もあれば、散る木もある。同じ木でも紅葉する葉もあれば、散る葉もある。

くやしさを口には出さず一葉忌 松束

11月23日は一葉忌。一葉は口惜しい思いをどうしたか。偶には口に出したが、大方は日記に書いた。さすがの一葉もこの日が勤労感謝の日になるとは想像しなかっただろう。
一葉の没年は1896(明治29)年、勤労感謝の日は1948(昭和23)年制定。
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今朝も松田聖子でウォーキング。
今日は1980年冬リリース聖子第2作目のアルバム「North Wind」を聞きながら歩いた。
10曲とも秋、冬を歌った曲で、バラード、ボサノバ、ロック調と幅広いテンポの曲が展開される。
聖子の歌唱力のうまさはこのアルバムあたりから発揮されているように思う。
聖子得意の高音は、最近のようなしっとり感はまだ無いが、若々しい、溌剌とした伸びが心を捉える。
アルバム名になっている「North Wind」より、「風は秋色」「Only My Love」が好きである。
また、「冬のアルバム」では、抑えた声でボサノバを軽快に歌っている。その多彩な表現力は後に大物になる片鱗を表していると思える。

1. 白い恋人
2. 花時計咲いた
3. North Wind
4. 冬のアルバム
5. 風は秋色
6. Only My Love
7. スプーン一杯の朝
8. Eighteen
9. ウィンター・ガーデン
10. しなやかな夜
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今日は俳句なしでウォーキングをしようと思い、
iPodで松田聖子のアルバムを聞きながら歩いた。

1981年のアルバムで「風たちぬ」他9曲が入っている。

この頃の松田聖子は、空へはじけるようなすがすがしい声で歌っている。
さらに、正確で幅広い音程、的確なリズム感があり、
晴れ晴れとした気持ちでウォーキングが出来る。

1曲が3〜4分なので、アルバムが終わる頃には4、50分となり丁度いい。
今日は10時15分から11時10分の間で4772歩歩いた。

聞いた曲は次の9曲である。

冬の妖精
ガラスの入り江
一千一秒物語
いちご畑でつかまえて
風たちぬ
流星ナイト
黄昏はオレンジ・ライム
白いパラソル
雨のリゾート
December Morning

因みに、散人のiPodには松田聖子の歌が91曲入っている。

どうだんつつじ

葦を刈った池
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天目、都鳥
都鳥天目


一昨日、進藤さんから椿の鉢を頂く。お父さんの代からの椿の鉢植えをたくさん栽培されている中から、都鳥(左の鉢)と天目(右の鉢)を頂く。
咲くのは2月以降との事で、今は蕾がいくつか付いている。
うまくいけば、下の写真のような花が咲くはずである。
下の写真も左が都鳥、右が天目。
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松束4
平成18年12月6日

芭蕉忌や小松が末の風の音  松束
 
小松と云所にて しほらしき名や小松吹萩すゝき 芭蕉
かわいい名前だ、小松とは。
その浜辺の小松にいまは秋の風が吹いて萩やススキの穂波をなびかせていることだ。
元禄2年 7月24日〜26日 、芭蕉は「奥の細道」の小松にいた。
小松でこの句を発句として句会を興行している。 この句は土地への挨拶吟。
芭蕉の句の風は秋風だが、松束の句の風は冬の風。

切株の色濃くなりぬ桃青忌  松束

これではさっぱり分らないと思う。「しぐるるや田のあらかぶの黒む程 芭蕉」を踏まえた句。

蓑虫は父を恋ふらし翁の忌  松束

蓑虫は秋の季語だが敢て用いた。
「翁の忌」が主で蓑虫が従であることがすぐ分るから。

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 (みのむしのねをききにこよくさのいほ) 芭蕉
秋深く寂しさの極まるわが草庵に来て、ともにあわれ深い蓑虫の声を聞けよ。わが友よ。

貞亨4年秋、深川芭蕉庵での作。芭蕉は、この句をもって秋の虫の音を聴く会を開くべく俳友に芭蕉庵へ来るようにさそった。このとき、嵐雪にも届けられたが、嵐雪は断った。「蓑虫を聞きに行く辞」に
何も音無し稲うちくふて螽(いなご)哉
という句を添えたという話が残っている。 蓑虫は鳴かないから、嵐雪の言うのが正しい。

「蓑虫」は実際には鳴かないが、『枕草子』に「八月ばかりになれば、ちちよちちよと果なげに鳴く」とあり、以来、秋風が吹くと悲しげに鳴くものとして文学に扱われた。実際には鳴かない蓑虫を「ちちよちちよ」と鳴くと清少納言は感じたらしい。
「父よ父よ」とも「乳よ乳よ」とも取れ、なかなか情感の籠った言葉だ。
季節は異なるが、「亀鳴く」という春の季語がある。実際には亀は鳴かないという。

なお、伊賀上野の服部土芳は、貞亨5年3月4日庵を開き、些中庵<さちゅうあん>と名づけたが、3月11日、折りしも『笈の小文』の途中、伊賀上野に立ち寄った芭蕉をそこに招き句会を開いた。このとき芭蕉は一枚の絵を土芳にプレゼントし、その画讃にこの句があった。そこで特に蕉翁に許しを得て、この庵を「蓑虫庵」と改名したという。また、このときの句会の發句がこの句であったので、庵名をこのように変えたという説もある。

山国の日和つれなし翁の忌  松束

名月や北国日和定めなき 芭蕉」を踏まえた句。奥の細道ではやはり満月が見られなかったらしい。

芭蕉忌や風さへ香る羽黒山  松束

有難や雪をかほらす南谷(ありがたや ゆきをかおらす みなみだに)芭蕉
「霊地に妙香あり」という。南谷別院は羽黒山の霊気が漲っていて雪渓を渡る風が良い香りを運んできてくれることだ。

元禄2年6月2日〜10日、芭蕉は「奥の細道」の「出羽三山」にいた。初日の6月2日羽黒山本坊において露丸・釣雪・珠妙・梨水・円入・會覚・曾良を入れて八人歌仙を巻いた。その発句がこの句で、會覚や土地の人々への挨拶吟。

しとばりの些細なことよ翁の忌  松束

いわゆる俳句論者を揶揄した句。

蚤虱馬の尿する枕もと(のみしらみうまのばりするまくらもと) 芭蕉
元禄2年5月17日、「奥の細道」の尿前の関で詠んだ句。

尿の読み方を「しと」としている本もあれば「ばり」としている本もある。読み方にこだわる人もいるようだが、それは些細なことだ。「蚤虱馬の尿」と美しくない言葉の羅列だが、芭蕉ならではの文学的措辞なのだろう。当時この地域では馬屋は住居の中にあった。蚊も虱も蚤も一緒だった。馬が放尿するのは当たり前。その猛烈な音に起こされるのも尤もなこと。ただし、「枕もと」ではありえなかった筈。実際は宿泊した有路家は立派な構えだった。江戸の有名人を迎えてよもや馬小屋の隣に寝かしたとは思えない。

金作といふ名に会ひぬ翁の忌  松束

松尾芭蕉は正保元(1644)年、伊賀上野の赤坂町(三重県上野市赤坂町)に生まれた。出生月日は不詳。幼名金作、のち宗房。

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気管支の調子が土曜日からおかしかったり、外出があったので久しぶりのウォーキングである。見沼田んぼ周りを一時間半、7420歩。

最近は句を捻りながら歩くので退屈せず時間が過ぎる。
それに自然・風景を見る目が真剣になった。
でも、出来る俳句は稚拙極まりない。
松束さんに講評してもらうのに気が引けるほどである。

枯れ丘や葛の葉ぐっしょり朝の霜

川底は缶の墓場か水澄みて

みやこどり都落ちして彩の川

点々と釣師ふっくら冬の川

公孫樹緑の中に黄堂々

冬の風コサギだんだん身を縮め

芋汁や祖母偲ばるる朝餉かな
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青年の会も今年の月例会は最後になった。
先月から、麻雀もやるようになり、2時に赤坂見附駅改札口に5名集まり、雀荘ラークへ行く。
最初の半ちゃんは田中さんが抜け、大山、進藤、松岡、散人の4人で勝負。
次の半ちゃんは2抜けで大山さんが抜け、田中さんが入る。
大きな動きなく、お遊び麻雀。
半ちゃん2回で6時前。ちょうど良い時間で、次の飲み会会場「つぼ八」へ繰り出す。
松永さん、丸山さんが少し遅れたが10名揃う。
旅行積立と月々の飲み会の勘定についてルールを決める。
あとはいつもの通りワイワイガヤガヤ。
大山さんは秩父の火祭りの帰りで疲れており、得意の親父ギャグは不発。
飲み会のあとのカラオケは明石さん、松永さん、丸山さんの3名だけ参加。
皆さん飲み会が続いているようで疲れ気味。

進藤さんに椿を2鉢いただいて帰る。
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松束4
松束さんから「芭蕉忌」に因んで芭蕉についての詳しい紹介と句が届いた。
後に読み返すために掲載しておく。

きょう12月2日は「芭蕉忌」です。陰暦では閏7月があったため、今年は遅い時期になりました。松尾芭蕉は正保元(1644)年、伊賀上野の赤坂町(三重県上野市赤坂町)に生まれました。出生月日は不詳です。幼名は金作、のちに宗房に変わりました。俳諧を革新して、いわゆる蕉風を確立させたことで有名です。元禄7(1694)年陰暦10月12日、51歳で持病のため大阪で亡くなりました。51歳というと非常に早死にという印象を受けますが、私が計算したところ、今だと70歳ぐらいになります。
ちょうど時雨の季節であり、芭蕉が時雨を好んで題材としたことから「時雨忌」、筆名から「桃青忌」、呼称から「翁忌」ともいわれています。余談ですが私の誕生日は新暦の10月12日です。なお今俳句と呼ばれているのはこの俳諧の発句です。

松束作の芭蕉忌の句です。

芭蕉忌や小松が末の風の音
切株の色濃くなりぬ桃青忌
蓑虫は父を恋ふらし翁の忌
山国の日和つれなし翁の忌
芭蕉忌や風さへ香る羽黒山
しとばりの些細なことよ翁の忌
金作といふ名に会ひぬ翁の忌


以下は「おくの細道」の序文です。よく練られた切れのある名文です。

おくのほそみち序

月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也 舟の上に生涯をうかべ 馬の口とらえて老をむかふる物は 日々旅にして 旅を栖とす 古人も多く旅に死せるあり 予もいづれの年よりか 片雲の風にさそはれて 漂泊の思ひやまず 海浜にさすらへ 去年の秋 江上の破屋に 蜘の古巣をはらひて やゝ年も暮 春立る霞の空に 白川の関こえんと そヾろ神の物につきて 心をくるはせ 道祖神のまねきにあひて 取もの手につかず もゝ引の破をつヾり 笠の緒付かえて 三里に灸すゆるより 松島の月先心にかゝりて 住る方は人に譲り 杉風が別墅に移るに
  草の戸も住替る代ぞひなの家     面八句を庵の柱に懸置


冒頭部分は「夫れ天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客なり」(李白)を踏まえている。
逆旅;「げきりょ」と読み、「逆」は迎えるという意味。ここでは旅客を迎える所・宿屋・旅館の意。
百代;「ももよ」でも「ひゃくだい」でもなく「はくたい」と読み長い年月のこと。
過客;「かきゃく」ではなく「かかく」と読み旅人のこと。先の小泉劇場の「刺客」
と同じように、「客」は「きゃく」ではなく「かく」と読む。

舟の上に生涯を浮べ;船頭
馬の口とらへて老を迎ふる物;馬子
古人;ここでは、単に昔の人という意味ではなく芭蕉が尊敬してやまない西行や宗祇,能因法師などをさす。
海浜にさすらへ;「海浜」は「かいひん」と読み、前年の『笈の小文』の旅を指す。

芭蕉晩年の旅は下記の通り

1 「野ざらし紀行」貞亨元年(1684)8月〜翌年4月 亡母の墓参を兼ねた上方東海紀行
2 「鹿島紀行」貞亨4年(1687)8月  潮来の月見と鹿島神宮参詣
3 「笈の小文」貞亨4年(1687)11月〜翌年4月  尾張、伊賀上野から京都に至る
4 「更科紀行」貞亨5年(1688)5月〜8月  京都から木曾街道を経て善光寺 尾張へ
5 「奥の細道」元禄2年(1689)3月〜翌年8月  関東、東北地方を巡る(「奥の細道」の執筆は芭蕉最晩年の元禄7年4月)
6 「嵯峨日記」元禄4年(1691)4月〜5月  京都嵯峨の落柿舎滞在記

江上の破屋(こうしょうのはおく);江上は江戸のこと。破屋は深川の芭蕉庵のこと。
そゞろ神;芭蕉特有の言い回しで、旅に出るように誘惑する神様。このような神様が実際にいる訳では無い。
三里;鍼灸医学のつぼ(経穴)の一。普通、足の三里をさす。膝頭の下三寸(約9cm)、外側の少しくぼんだ所。俗に、ここに灸をすえると万病に効き、また健脚になるという。

松島の月先心にかかりて;芭蕉の松島の月に対するあこがれは凄かったらしい。天和2(1682)年、39歳の5月、大淀三千風編「松島眺望集」に下記の発句が1句入集している。

武蔵野の月の若生えや松島種(江戸の月は、松島のつきの種を貰ってきて蒔いて育った実生のようなものに過ぎない)
本書は、芭蕉や西鶴、言水など全国の500余人にのぼる俳人から5000を越える発句、和歌、漢詩を収集し、そこから1500の作品を選んで2巻2冊を完成させたもの。

元禄二年、「奥の細道」の布石であろうか、 
朝夜さを誰まつしまぞ片心 (朝な夕な、松島のことが心にかかるのは、誰ぞ私を待つ人があの島にいるからか)
という句を詠んでいる。「まつしま」に「待つ」「松島」を掛ける。「夜さ」は夜。「片心」は片思い。

杉風が別墅:「さんぷうがべっしょ」と読む。杉風は杉山市兵衛 (1647〜1732)のこと。江戸の人。通称、鯉屋市兵衛。別号、採荼庵(さいたあん)・蓑翁(すいおう)。芭蕉の最も信頼していた弟子で蕉門十哲の一人。深川の芭蕉庵の提供など、芭蕉を経済的に援助した。著「常盤屋句合(ときわやのくあわせ)」「杉風句集」など。別墅は、深川六間堀にあった杉風の別宅採荼庵<さいだあん>のこと。

面八句:「面」は「表」で「表八句(おもてはちく)」。百韻形式の連句の最初の8句のこと。これらを第1ページ目に書くところから表八句という。ただし、この表八句は現存していない。
庵の柱に懸置:「いほりのはしらにかけおく」と読む。この庵が人に譲った旧芭蕉庵なのか、採荼庵なのかという点については、「表八句」が残っていないのでどちらとも言えない。

草の戸も住替る代ぞひなの家
人生有為転変、こんな取るに足らぬ庵にも主の住み替る時は来るものだ。新たに住む人は世捨て人同然の自分とは違い妻子があり、近く来るひな祭りにはひな壇なぞ飾られて、華やいだ家に変るだろう。「雛の家」というように芭蕉が立ち退いた後の芭蕉庵は、女の子のいる家族が移り住んだようだ。「ぞ」の一文字が句を引き締めてる。
初案は、  草の戸も住み替る世や雛の家          
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松束4
平成18年12月3日

蛍火をひとつ与へん冬の虫
 
鐘叩の音が家の中のどこからか間遠に聞こえてくる。寒くなってきたので、家の中に入り込んできたのだろう。哀れさが身に沁みるが何もしてあげることができない。「蛍火」は「蛍の放つ光」で夏の季語だが、「小さく消え残った炭火」という意味もある。この句では煙草の火を「小さく消え残った炭火」に準えた。何とかしてあげたいという心情を句にしたが、これを大きなお世話というのだろうか。

墨の香を筆に移して小春かな 

2006年11月21日、14:00〜16:00、銀座OS画廊書道教室で二回目の習字練習。講師;小泉香園先生。会員;伊藤伸一、木川るり子、倉橋宣武、栗原道男、薗吉輔、冨田悦男、萩次郎、宮村昊の諸氏と私。休憩時間に各々自己紹介、俳句をやっており、下手な字ながらきょうから陰暦十月。きょうの小春日和を踏まえて、小泉講師への挨拶句「寿美之香遠不手仁宇津之手小春加奈(すみのかをふでにうつしてこはるかな)」を披瀝。
先生から「筆立て、力抜き、溜め、ゆっくり」の指導を受けるが、いずれも難しい。すぐ筆が斜めになる。手にも肩にも入る力。溜めがなくなる。そんなに急いで何処へ行く、ついつい速くなる。 
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