虎の尾昨日午後しそびれた庭仕事を今日片付けた。

まず、虎の尾(サンセベリア)二鉢分を2回り大きな一鉢にまとめた。
これはいつも部屋の中に観賞用として置いているのだが、ボリュームがあったほうが見栄えがよいのでまとめてみた。

次に、月下美人の植え替えをした。二鉢あるが大きい方の月下美人が葉の勢いが無くなっていた。
鉢から抜いてみると根の張り方が弱い。また、水をやり過ぎているみたいで根が緩んでる。

水はけが良くなるように、赤玉土、腐葉土、軽石を三分の一づつ混ぜて用土を作り、根がぐらつかないようにしっかり押さえ支柱で大きな葉を固定した。

月下美人はあまりいじると花の付きが悪くなるが今年も昨年と同じように見事な花を2度くらい咲かせて欲しいものである。

あとは、お遊びで、スィートトマトと茶豆を2苗づつプランター植えした。茶豆の方は適当な大きさのプランターが無かったので発泡スチロールを代用した。
以前はピーマンとかナスも植えていたけど、植える場所がなくなったので今年はトマトと茶豆だけにした。
果たして食べれるほど収穫があるかどうか。虫に負けないようにしないといけない。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

この2日寒さが戻ってきた。夕べは蒲団を一枚増やして寝た。

寝てしばらくすると、蚊が羽音を立ててやってきた。
この寒さに蚊が出るとは驚きである。
しばらくじっとして顔に止まるのを待っていた。

頬の辺りで羽音が止まって、耳の脇に止まるのが分かった。
10秒ほど時間を置いて、右手で頬を叩いた。
ちょっと手が反れて耳に当たったらしく、耳がキーンと鳴った。
と同時に手の平に小さくぬるっとしたものを感じた。

この次期の蚊は動きが鈍いようで上手く仕留めたらしい。
灯りを点けて見てみるとまだ小さい蚊で血は吸ってなかった。

安心して眠りに就くことが出来た。

シャガ

庭にシャガの花が咲き出した。
毎年この時期になると椿の木の下で花を咲かせる。
葉が大きい割には花は控えめの大きさである。

シャガはアヤメ科の花で、人家近くの森林周辺の木陰などの、やや湿ったところに群生している。
地下茎を伸ばして殖えていくので、庭に植えているとすぐに広がり、我が家のような狭庭(さにわ)には厄介である。
殖えると適当に引っこ抜いて一纏まりにしている。

花は1日しかもたず、開花した翌日にはしぼんでしまう。
もったいない気がする。


    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

昨日、近くの公園のそばを散歩していたら、ビニール袋に詰められたゴミが積んであった。それには看板が付けられていた。読んでみると、「これらのゴミはボランティアの人達が拾い集めました。25(水)に回収されます」とある。
この辺はいつもゴミが散乱しているが、業を煮やした近所の人か市のボランティアの人が集めたのであろう。
しかし、1週間もすればまたゴミの山になるのである。

ごみ

この公園に捨てられるのはゴミばかりではない。猫も沢山捨てられている。今、子供が生まれて20匹はいるだろうか。
どの猫も野良猫のような汚らしい雰囲気は無い。朝夕2〜3人の人が餌を持ってきて与えている。
餌は食べきらないほど与えられてるらしく、食べ残しが散乱しているほどである。これも、ボランティアの人らしい。

この様子を見ていると、愛猫を事情があって捨てざるを得なくなっても安心して捨てられだろう。捨猫はいっこうに減らないのである。

捨猫

ゴミも捨猫もボランティアさまさまであるが、何か腑に落ちない。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

松束俳句春


藤波の匂ひの海に遊びけり  松束  
       
「波」と「海」、和歌では縁語という技法の一つだが、俳句では即きすぎという人もいるだろう。「藤波の匂ひの海に遊ぶ」では単なる説明や報告にとどまるが、感動を表す切れ字「けり」の二文字で生き生きとした句になる。
この句はかつて日経俳壇に掲載された句。
選者評「藤の花が垂れ揃っているさまを言ったのが藤波。美しくゆたかな言葉である。藤棚の下に立ってそのにおいを満喫し、心ただよう自分の姿をよく表現した」
俳句は美しい言葉を使いたい。
選者だった藤田湘子先生は2005年今日4月15日に亡くなられた。合掌!

春笋(しゅんじゅん)の郷(さと)の匂ひをつまみけり  松束 

松束;妻が友人から八女の現地直送の茹で筍(友人の友人が朝堀筍をすぐに茹でて宅送)を貰った。筍は鮮度の落ちるのが早いので、掘り出したらすぐ茹でるのが一番だという。
妻の筍料理の定番は煮付けと澄まし汁、いずれもコンビは和布。単に「筍」といえば、夏の季語。春の筍は「春の筍」「春笋」などと言う。「和布」も春の季語。
八女は故郷に近いので、「郷」を用いた。「匂ひ」は「土の匂い」。実際は匂いはつまめないが、食べることをこのように表現した。

種種(くさぐさ)の草の葉そよぐ朧かな  松束

松束;「種種(くさぐさ)」は「さまざま、いろいろ」、「そよぐ」は「戦ぐ」と書き、「草や木が静かな音を立てながらゆれ動く」の意味。「戦く」は「おののく」、「戦う」は「たたかう」と読む。

白雲に触るるばかりに番蝶  松束

松束;春の心地よい風を受けながら、公園の芝生に寝転がって、麗らかな日差しを受けていた。目の上の薄い白雲の浮んでいる青空に突然、二匹の紋白蝶が現れた。仲のいいカップルらしく、上になり下になり飛んでいる。たまには雲に触れるかのように。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

俳句教室3

自由句

○時化雲に桜せわしく散りにけり/   散人

松束;句の構成は「15音+けり」でまとまっており、リズムもいい。切れ字「けり」がよく効いている。「せわしく」に作者の海辺の桜を惜しむ気持ちが表れている。 「時化」は「海が荒れること」で反対語は「凪」。「凪雲」という言葉はないが、「時化雲」の措辞如何?

散人;漁師用語でしょうか。祖父が使っておりました。

松束;了解。

○散りゆきてこずえ赤める桜かな/  散人

松束;句の構成は 「15音+かな」でまとまっており、リズムもいい。切れ字「かな」がよく効いている。桜は散ったが、まだ蕚には赤い蘂が残っている。その様を詠んだ句。「桜蘂降る」という季語はその蘂が散って落ちること。「こずえ」は「梢」と書き、元「木の末」のこと。「赤める」は「赤むる」が正しい。

散人;散りゆきてこずえ赤むる桜かな   散人

○散る花を借りて/轍の薄化粧   散人

松束; 句の構成は「8音+9音」で変形だがまとまっており、リズムもいい。桜の花弁が轍の上に散っている景を轍が薄化粧していると詠んだ。乙な轍もあったものだ。上手い句。

○春眠と言い訳したり/二日酔い   星児

松束; 句の構成は「12音+5音」でまとまっており、リズムもいい。おそらく寝過ごしたのだろう。春の眠りは誰にも心地いいものだが、二日酔いではねえ。何よりも匂いですぐばれてしまう。ご愁傷様とでもいうべき面白い句。俳句表記では「言い訳」は 「言訳」、「二日酔い」は「二日酔」。

春暁 孟浩然 しゅんぎょう もうこうねん 
春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少
しゅんみんあかつきをおぼえず しょしょにていちょうをきく やらいふうのこえ はなおつることしらず(或いはしりぬ)たしょうぞ
孟浩然は盛唐の詩人である。この詩は「花はどれほど散ったかしら?」と疑問形で問いかけている形だから、「花落つること知らず」と否定形にしたほうがふさわしいかも……。


星児;春眠と言訳したり/二日酔  星児

○子等の手を避けて/はらはら落花する  星児

松束; 句の構成は「避けて」で切れが生じるので「8音+7音」 、今一つリズム感に乏しい。「落花」の「花」は俳句では特に桜をいい、春の季語。「はらはら」が散る様子と心配する様の掛言葉のようにも感じられて面白い。

星児;はらはらと子等の手を避け/落花する  星児
確かにこちらのほうがリズムがいいですね。

松束;句の構成が「12音+5音」にまとまった。了
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

俳句教室3

兼題:蝶・朧(その2)

○朧月見上げる君と千鳥足   星児

松束;この句はどこで切れているのだろうか?
朧月/見上げる君と千鳥足、「5音+12音」の句。中七以下が意味不明。
朧月見上げる君と/千鳥足、「12音+5音」の句。座五が浮いてしまう。
朧月見上げる君と千鳥足/、切れはなくなるが、全体の意味は分る。
俳句には切れが必要、さあ、どうしたらいいだろうか? 皆で考えよう。


散人;添削 月朧共に今宵の千鳥足   散人

星児; 松束さん、切れ(切り?)が必要なんですね。散人さんに添削頂き確かに俳句らしく聞こえてきました。有難うございました。それと質問ですがこの場合

月朧/共に今宵の千鳥足 

で切れるのですよね。それと「今宵の」と「今宵は」ではどちらがよいのでしょうか?

散人; 「の」にするか「は」にするか。 それはその時の作者の感情ではないでしょうか。 「は」とすれば、いつもはとは違うんですよ、という感じも受けとめられます。 「の」にしたのは、今の雰囲気に浸りたかったからです。

星児; 散人さん、ありがとうございます。しかし「は」と「の」の違いで聞き手には随分違って聞こえてきますね。「は」だと「千鳥足」を強調するように聞こえますし「の」だと「朧月」を強調するように聞こえてきます。

松束;月朧/共に今宵の千鳥足、句の構成は「5音+12音」、よくなった。「切れ(切り?)」は「切れ字」からきているのかも知れないが、普通「切れ」という。川柳と俳句の違いは切れの有無。俳句と川柳の違いはただ一つ、切らなければならないのが俳句、切ってはならないのが川柳。川柳と俳句の生まれた過程をたどれば分る。昨今、実に嘆かわしいことだが、このことが分かっていない俳句作者が多い。俳句は伝統文芸或いは伝承文芸?などと言う前に勉強して貰いたい。
係助詞「は」や格助詞「の」、俳句は一文字の助詞の用い方で意味が変わる。推敲の時は、助詞の取り扱いに、注意を払う必要がある。
いずれにしても「名詞」…「名詞」は、何処に切れがあるのか、一読ではわからない場合が結構多いし、中七だけの叙述になってしまう。損な表現なので極力使用を避けた方がいい。
ところで、この句は上五から夜の景ということは明白、「今宵」という言葉は必要だろうか?


散人;なるほど、「今宵」は「月朧」とイメージが重なりますね。 博多の匂いがしますので、

月朧共に中洲の千鳥足

としてみます。地名の中洲と千鳥が実際に歩く中洲をかけてみました。

星児;確かに「朧月」は夜に出るので「今宵」はイメージが重なりますね。イメージの近い言葉はなるべく避けたほうがよいのですね。
月朧共に中洲の千鳥足
確かに無駄がなくなった気がします。そして中洲が「銀座」ではまったく俳句に聞こえないきがします。
地名や固有名詞を使うときの決まりはあるのですか?

松束;俳句は17音の制約があるので、言葉の節約が必要。ダブリ語は勿体無いので避ける。「切れ字」は節約の点からも有効。「切れ字」はわずかの音で、一句を引き締め、無限の連想や余韻を与えてくれる。地名や固有名詞を使う時の決まりはないが、有名でないと読者に通用しないので注意を要する。推敲を重ねるうちに面白い句になった。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

俳句教室3

兼題:蝶・朧

○初蝶の覚束なきや/軒の下   散人

松束;句の構成は「12音+5音」でまとまっており、リズムもいい。切れ字「や」がよく効いている。「初」のつく季語は殆どが新年の季語。「初蝶」はこのシーズン、はじめて見る蝶のこと。こういう季語は「初」の部分の感動を詠んで貰いたい。作者はあやふやな飛び方を心配しつつも初めて見る蝶に感動している。

散人;下五を「軒の下」にするか「軒の上」にするか迷いました。 「軒の上」にした場合の読者の印象は如何でしょうか。 実際、蝶は軒の下や軒の上のひらひらしておりました。

松束; 「軒の下」の方がいい。蝶の成長を期待する心持ちがイメージできる。

○蝶ゆえに 優雅ならざる 事悲し/  星児

松束;古語の形容詞の終止形「し」は切れ字。句形はまとまっているが、観念的な句になった。理が勝ち過ぎると独りよがりな句となって、読者の感動を誘い難くなる。「悲し」と言ってしまえば、問題の正解を事前に教えるようなもの。よほどの場合を除いて「悲し」と言わない方がいい。他の言葉を用いて、イメージを読者の判断に委ねる。そのような句の方が読者の共感を得やすい。

星児;俳句においての原点はやはり日常の出来事を描写しそれに対して聞き手から共感を得るのが大切なのでしょうね。松束さんがおっしゃるようにあまりに観念的になってると私も思いました。捨てさせて頂きます。

○窓拭けどまだ朧なる秩父かな/   散人

松束;句の構成は 「15音+かな」でまとまっており、リズムもいい。 切れ字「かな」がよく効いている。山が朧に見えるのは窓硝子がくもっているためだと拭いたものの……。俳句の要素の一つである俳味のある句となった。

○どの顔も朧になりけり/同窓会  星児

松束;句の構成は「13音+6音」。中七と座五が字余り。特に中七の字余りは一句を緩慢にする。リズムを壊すもとになるので厳に避けたい。座五の字余りも避けたいところだが、「同窓会」という一つの名詞だから許容範囲か。句が出来たら必ず声に出して推敲する習慣を身につけて欲しい。その場合、必ずリズムと意味の両面から行うようにする。「句調(ととの)はずんば舌頭に千転せよ」、略して「舌頭千転」は芭蕉の有名な言葉だという。俳句は五音(上五)・七音(中七)・五音(下五・座五)、略して五・七・五の十七音を表現の舞台とする、韻律が生命の定型詩。自ら詠むときはもちろん、作品を鑑賞するときも、何回も声に出して欲しい。 記憶が朧という面白い「朧」の用い方だが、季語に即しているかどうかは疑問。

星児;確かに松束さんがおっしゃるように「朧」の季語としての使用が間違っていないかどうか疑問でした。「朧」はやはり視覚的な「陽炎」と同じような使い方が必要なんでしょうね。この句は捨てさせてください。それと質問ですが兼題で「朧」と出た場合は「朧月」を用いるのはよろしいのですか?

松束;兼題「朧」を「朧一切」と拡大解釈すれば用いてもいいことになる。「朧一切」の場合は「朧」が含まれておればいいということ。この句会では今後、拡大解釈路線をとりたい。但し、他の句会では都度、主宰に確認した方がいい。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

過日、高校の同期生、蓮尾信也君が出品している写真展に行ってきた。
彼は、住んでる地域のサークル「フォトサークルゆうゆう」に所属し、休日を利用して写真を楽しでいる。

そのグループの作品展が「ゆうゆう漫歩展」として開催されたのである。
プロ2名を含む15名の作品が並んでいたが、いずれも素人の域を脱した秀作ばかりであった。

今はやりのデジタルではなく、れっきとしたポジフィルム撮影の写真で撮影者の技量が問われる。
添え書きには、「悠悠とまた遊遊と楽しみながら、感動した風景等を撮影し作品にしました。」とあるが、なかなかどうして、どの作品も本格的な作品である。

蓮尾君は超伝導物理学者であり、普段は難しい研究に没頭しているようであるが、写真撮影やサークル活動で息抜きをしているようである。
息抜きにしては素晴らし過ぎる作品である。

蓮尾君の許可を得て、その作品ならびに撮影意図を残しておきたい。

共通タイトル「寂庭旬景」:寂庭(静かな庭)の旬景(一番よい時期の景色)。

[作品1]
「境内秋影」:お寺の境内の燈籠の上に落ち葉がひとつ。つるべ落としの陽を受けて、その影が見る見る延びて行く様子を撮影しました。ちなみに、秋影とは秋のつるべ落としの陽の作る影のこと。
境内秋影

[作品2]
「蓮華遠望」:蓮の葉についた水滴に蓮華が写り込んでいる様子を撮影
しました。蓮の葉が遠くの蓮の花にひそかな想いを寄せているような感じで撮影しました。
蓮華遠望

[作品3]
「彼岸日和」:秋のお彼岸の日、爽やかな青空のもと、咲き乱れる彼岸花
が、お寺の境内の手水鉢の水に写っている様子を撮影しました。竹筒から落ちる手水が波紋を作り、彼岸花を揺らしています。
彼岸日和
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

昨夜、ある会合で、マイミクのキーコさんとお会いし、貴重なフリーペーパー「B&G Network」創刊号を頂いた。

調子が良くなかったので、会合を中座し、帰りの電車の中で読ませていただいた。68ページからなるA4サイズの冊子である。

コンセプトは、「団塊世代に対して、地域や街に根ざした横社会のグループを作り、活動することにより、社会と繋がって生きがいを求めることを啓蒙する」ことのようである。

長年、組織に身をおいて活動してきた世代は、リタイアしても何らかの不安を感じるのは確かであり、これまでと違ったグループで自己実現させたい気持ちは持っているだろう。しかし、多くの人は(特に男性は)なかなか一歩足を踏み込めないでいる。

この「B&G Network]は、今現在活動しているグループを9つのジャンルに分けて紹介したり、新しいグループを作るヒントを与えたりする記事で構成されている。
そのグループ紹介に、キーコさんたち支局員が現場を訪ねて取材をし、記事にしている。

キーコさんの今回の取材は「海原探検隊」というダイバー仲間である。
キーコさんのダイビング姿が見れるかと思ったが残念ながらそれは無かった。

一つのグループがほぼ2ページまでに収まる記事構成で気楽に読めるようになっている。
また、各グループからの告知や参加呼びかけ、学習機関の紹介など、興味を引く内容になっている。

勿論、ちゃっかりと協賛企業のPR記事もさりげなく入っているが、これは仕方が無いことであろう。
この手の冊子はえてして支援企業のPRのページが多くなりがちであるが、今のところ、いやみの無い範囲である。

創刊号としては及第点であるが、10号目当たりの内容がどのようになっているか、失礼ながら見守って行きたいと思う。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

高校の同期生で佐賀で医師をしている石井雄二君から便りが来た。
時々写真を送ってくれる。前回は庭の朴の木、今回はスキー便りである。
いまだに冬山スキーの単独行をしてるらしい。
医者は元気だ。

以下、彼の便り。

関東勢元気ですね、やはり環境要素の刺激が、意気込みが違うのでしょうか。そのうち参加さしてもらいたいと思っております

東京は何時も素通りで、この冬は雪無く長野へ北海道への途中、空港、駅構内etcにちょっとだけ足をつけるだけ。
でも良かれ悪しかれ、ここが日本の動きの中心。
秋葉のヨドバシも車窓からちらと見えました。

石井1
石井2
後立山連峰唐松岳への山スキーです2500m地点。もう山小屋のアイゼンの跡だけ。スキーのシュプールの跡はありません。
62歳は体力維持に懸命ですが単独行なので、そろそろ雪の中は限界かなと思っております。

石井3
ニセコです。後ろを振り返ると羊蹄山です。
ニセコはパウダースノーという事で現在オーストラリアからのスキー客が多くくるようになり、口コミで在京の外人も来ているようです。ホテルでも、リフトでも、道を歩いても、レストランでも、露、仏、伊、英、中、全く分からぬ言葉までが飛び交っています。子供連れが多く目立ちます。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ