今日は体調が今一なので、終日、本を読んだり資料作りをして過ごした。
事務局長から借りた松本清張の「私論、青木繁と坂本繁二郎」を読了した。
松本清張が美術関係の本を書いているとは知らなかった。
この本は殆どを青木繁について論じており、坂本繁二郎については青木繁をクローズアップする為に書いているようなものだと受け止めた。
元々坂本繁二郎は地味な生き方をしている為話題になることが少ないのであろう。
それは別にしても、画家としても青木繁の方を高く評価している。
しかし、青木繁についても「海の幸」を描くまでの絵数点については彼の持つ天才的な素質が現れた作品として評価しているが、その後の作品は正視に堪えない駄作だと言って酷評している。
坂本繁二郎については敢えて作品の評価はしてないように見受けられる。
「青木繁は日本美術史上に必要にして不可欠だが、坂本繁二郎は日本美術史上から落ちても何の影響もない」 とまで言い切っている。
坂本繁二郎がちょっと可哀そうな気がする。
週末には高校の同期会で帰郷する。
その折に石橋美術館に寄り、二人の絵をじっくり見る積りであるが、元々絵を見る能力は無いので松本清張の主張を理解することは出来ないだろう。
事務局長から借りた松本清張の「私論、青木繁と坂本繁二郎」を読了した。
松本清張が美術関係の本を書いているとは知らなかった。
この本は殆どを青木繁について論じており、坂本繁二郎については青木繁をクローズアップする為に書いているようなものだと受け止めた。
元々坂本繁二郎は地味な生き方をしている為話題になることが少ないのであろう。
それは別にしても、画家としても青木繁の方を高く評価している。
しかし、青木繁についても「海の幸」を描くまでの絵数点については彼の持つ天才的な素質が現れた作品として評価しているが、その後の作品は正視に堪えない駄作だと言って酷評している。
坂本繁二郎については敢えて作品の評価はしてないように見受けられる。
「青木繁は日本美術史上に必要にして不可欠だが、坂本繁二郎は日本美術史上から落ちても何の影響もない」 とまで言い切っている。
坂本繁二郎がちょっと可哀そうな気がする。
週末には高校の同期会で帰郷する。
その折に石橋美術館に寄り、二人の絵をじっくり見る積りであるが、元々絵を見る能力は無いので松本清張の主張を理解することは出来ないだろう。
コメント
コメント一覧 (2)
=2010/11/17付 西日本新聞朝刊=
九州新幹線鹿児島ルート全線開通に備え、久留米市のJR久留米駅西口近くに復元された洋画家坂本繁二郎の生家で16日、企画展「幕末・明治期の坂本繁二郎生家」が始まった。繁二郎の絵心をはぐくんだとされる父金三郎(1848−86)が描いた「武者絵」などが初公開されている。12月19日まで。
久留米藩士だった金三郎は幕府の海軍操練所で勝海舟の教えを受け、剣術や槍術(そうじゅつ)などの免状を持つ。武芸に精通する半面、よろいやかぶとをスケッチした武具図を残し、武者絵や草花を描いた和紙のたこを作るなど、画才も発揮していたという。
企画展では、繁二郎も目にしたとみられる色鮮やかな武者絵、14、15歳で初めて上京した金三郎が母親にあてた直筆の手紙などを初公開。6月に遺族から寄贈された坂本家の家紋入りの火事羽織や旗、金三郎直筆の地図など26点を展示している。
29日に展示品の一部を入れ替える。入場料は高校生以上200円、小中学生100円。土曜日は高校生以下無料。坂本繁二郎生家=0942(35)8260。
繁二郎が4歳の時金三郎は亡くなっています。その後は母親の手一つで育てられています。繁二郎には兄がいましたが第3高等学校時代に亡くなっています。
繁と繁二郎の父親は同じ久留米藩士でしたが勤皇派と佐幕派で仇同志だったようです。
繁の旧居は久留米駅の東側に、繁二郎の生家は西側にあって、いろんな面で二人は対照的です。
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