「見沼散人」の身の丈生活

頑張らない。欲張らない。見沼の里のわび住い日記。
出前竹とんぼ教室募集中! どこでも、いつでも竹とんぼ。

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白蘭会

今夜は年に一回開かれる「白蘭会」が神田の老舗「尾張屋」で行われた。
この会は学校の傍にあった「白蘭」という喫茶店で遊んでいた仲間の集いで、卒業後数年して開かれ始めた。学ぶことより遊ぶことが好きな仲間の集まりである。
12名が集まった。散人は久しぶりの参加である。
毎年集まっているので社会人になってからのそれぞれの生きざまはよく分かっている。
学生時代の人と成りから考えると想像もつかない生き方をしている奴もいる。
人の人生は分からないものである。
それだからこうして会って話をすると楽しい。
3時間があっという間である。
それにしてもみんな歳を取ったものだ。

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奇遇の縁で会食

今日は偶然なつながりでAさんとB君と昼食を共にし旧交を温めた。

B君は高校の同級生。Aさんは大学の先輩で且つ竹とんぼの仲間。

そして、AさんとB君はかって、ある会社の同じ職場で 同僚だった事がある。

私とAさんの関係を知ったB君から、Aさんと食事をするので君も来ないかと誘われご一緒した。

彼らが勤務したある会社とは私も浅からぬ縁があり共通の話題もたくさんあった。

Aさんとは竹とんぼ仲間ではあるがグループが違うので滅多に会わない。

会うのは数年ぶりで、今日はちょうどいい機会だった。

この年代は、会えば健康の話が中心になるが今日もそうだった。

お互い、どこかしら、何かしら不具合の所があるものである。

こうやって会える内が華なので大事にしたい。

今度は夜ゆっくりと会いたいものである。



 

自由・闊達

朝降り始めた雨がこの時間ミゾレに変わった。

やがて雪になるのだろう。

明後日の自然っ子クラブのイベントに影響しなければいいが・・・

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こんな日は家の中に蟄居である。


昨日も寒かったが、いくつか用があったので出かけた。

先ずは、中浦和駅前のギャラリー健へ高草木裕子さんが出展しているグループ展「どこかでお会いしましたね2015プレビュー展」に足を運んだ。

高草木さんは青木繁「海の幸」会のホームページを管理・運営して頂いている。

この数年同じ構図の絵を描いているが、今回は色彩が濃くなっていて赤い色が増えている。

血管を流れるヘモグロビンにも見える。

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 次に東京駅八重洲地下街のギャラリー八重洲・東京に向かった。

ここでは抽象作家展が行われており、青木繁「海の幸」会の事務局長・吉岡友次郎さんが出展している。

他にも青木繁「海の幸」会の会員6名が出展していた。

吉岡さんの絵は「ふたりのH氏とひとりのO氏のひそひそ話」のタイトルでアクリルや樹脂を塗りこんだ絵だった。

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どんなひそひそ話をしているか分からなかった。


夕方は、高校の同期生の月例の集まりに行った。

銀座3丁目の「ねのひ」でほぼ毎月開催している。

今日は7名が集まった。

一昨日N君が釣りに行って獲ってきた大きな「ウスメバル」の煮付けを肴に「ねのひ」銘柄の熱燗を楽しんだ。

枡に入ったコップ酒を3回お代わりし、いい気持ちになった。

いつもより集まった数が少なかったが、それだけにお互いじっくり話が出来たように思う。

高校時代、私が漢文の先生に楯突いて、「こんなの出来るか」と言って答案用紙を破って出て行ったのをT君が覚えていて披露してくれたが、私は全く記憶に無い。

私が出て行ったあと、その先生が「まだまだあいつも子どもだな」と言っていたそうである。

そんな自由の雰囲気のある高校だった。

ここに集まる同級生は、在学時代はそう緊密に付き合った友は少ない。

卒業後集まり始めて親しくなったものが多い。

中には卒業しなかった友も入っていいる。

1年の途中で転校したので卒業名簿には載っていない。

そういう友も何の違和感もなく仲間として入って来れる雰囲気がこの集まりにはある。

それは高校時代に培った、校風でもある自由・闊達のおかげである。

今もその校風は受け継がれているようである。

もしかしたらその校風は今の方が強まっているかも知れない。

そんな中で、孫正義が生まれ、孫泰蔵、ホリエモンが生まれたのだろう。

最近は若くして起業する者が増えたようだ。

益々楽しみな学校である。

われわれロートルは色々と口出しをしないで去るのみであり、こうして同期同士が集まって愚だを撒くのがちょうどいい。
 

久々の会合

昨夜は学生時代のサークル活動(アイセック)の1年先輩の集まりに参加させて頂いた。

中国地区の経済界の重鎮FDさんの広島からの上京に合わせて集まったものである。

 我々が活動していた頃のアイセックは、まだ草創の時期で組織作りや対外的な啓蒙に苦心していた。

FDさんとは渉外活動で多くの企業を回り、研修生の受け入れや賛助の依頼などで活動を伴にさせて頂いた。

卒業後広島に赴任されていたので会う機会に恵まれず、音信も不通になっていたがこの度数十年ぶりに会うことが出来た。

恰幅が良くなって、それなりに威厳は出てきたが、物腰の柔らかさは学生時代と変わりはなかった。

学生時代から、「たー坊」と呼ばれて親しまれていたが、今も「たー坊」の雰囲気はそのままだった。

もうひと方、久しぶりに会うのがKIさんである。

お互いの大阪勤務時代に会ったきりなので40年振りだろうか。

学生服と帽子がよく似合うダンディボーイだったがだいぶふっくらとされている。

しかし、その時代の上品さは今もって健在であった。

長いこと絵画に親しみ画集を出すほどの腕前だそうである。

YKさん、MIさんとは時々会っていたのでその変化ぶりは余り感じない。

YKさんは自宅に工房を作り、木工作業を楽しんでいる。

MIさんは御徒町でジュエリー店を営み多忙のようである。

5名集まったが、まだ髪の毛がそれなりに残っているのはMIさんと私だけであった。

昨夜は、FDさんお気に入りの「ぎんざ 力」でお酒とおでんを楽しみ、そのあと3名でバー「Lupan」でウィスキーを楽しんだ。

これを機会にまたお誘いいただけるようなので楽しみである。

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中滝会

昨日は、日本橋の東京薬業年金会館で「中滝会」が行われた。

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質素な看板

私が最初に就職した企業「中滝製薬工業株式会社」のOB会である。

「中滝」は、当時東証一部上場の三井系の製薬会社で、三井物産や東洋高圧(現三井化学)から 支援を受けていた。

お腹の薬「ワカ末」、風邪薬「ルピット」は大ヒットした薬だった。

団塊世代を超えた人々は一度はお世話になっているはずである。

医療用医薬品に手を付けた頃から順調でなくなり、三井系の支援を受けることになった。

結局は当時の鐘紡に吸収合併され、鐘紡の医薬品事業部門として生き残ることになった。

昭和47年、私が入社して5年目のことである。

従って、中滝会は昭和47年当時在籍した社員で構成されている。

私が入社した以後の新規採用もほとんどなかったので私が一番若い部類に入る。

70歳より若い人は殆どいないということである。

中滝会の発足当時は100名近いOBが集まっていた。

しかし、今年は52名だった。

毎年、鬼籍に入る人が増え、案内をする数も参加者も減ってきている。

私が入社したとき大変お世話になり、仲人までしていただいた先輩も昨年亡くなられた。

しかし、会社が消えて40年余りも立っているにもかかわらず毎年大勢のOBが集まる。

社員の絆が大変強かった証であろう。

OB会も上下の隔てもなく和気あいあいとした雰囲気である。

勿体ぶった挨拶もなく、鬼籍に入られた方への黙とうの後、世話人の乾杯だけである。

あとは散会まで勝手気ままにテーブルを回り、飲んだり、食べたりしながら昔を懐かしむ。

昔のお姉さま(お局様)は私より若い感じだ。

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喜寿だって

飲んでも、食べても、年寄りの集団なので高が知れている。

終わってもテーブルにはたくさんの食べ物が残っている。

パックを頂きお土産に持って帰る人も多い。


大いに飲んでもまだ飲み足りないのか、しゃべり足りないのか、2次会は神田の三州屋である。

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禿と白髪の大集団

年に一度の逢瀬なので話は尽きない。

2時に始まった会も2次会が終わったのは8時近かった。

来年も大勢の方と元気で会えるといい。



 

見沼自然の家、もの作り

月曜日は、見沼自然の家での「もの作り」の日。

9名のグラウンドワーク川口のメンバーが集まって、思い思いのもの作りに励んだ。

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一木彫りをする人、印鑑入れを作る人、象嵌のペンダントを作る人など様々である。

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一木彫り

今日はご婦人も一人参加し、サンダーベルトを使いこなしていた。

私は純竹距離のスーパー竹とんぼを途中まで作った。

軸のいいのがなかったので完成には至らなかった。

あさって・水曜日は「苗しろ床作り」の予定であるが雨が降りそうだ。

 

関東同笑会夏の陣(附設高校11回生同期会)

七夕の7月7日、同笑会関東総会夏の陣が新橋、新橋亭で開催され参加した。

総会といっても飲み会だけである。

毎月集まってはいるものの、近隣在住の者だけなので、年に2回は少し離れた者も参加する よう夏の陣、春の陣と銘打って開催される。

あいにく、梅雨明けの猛暑日となったが、予定の18名が集まった。

遠くは滋賀県大津市よりND君、KM君の2名が参加した。

KM君とはほとんどの者が卒業以来の50年ぶりの再開となる七夕の日にふさわしい会となった。

ND君は以前関東に済んでいたので皆とは馴染みである。

毎回簡単に近況報告をしているが、そう変わり映えのするものではない。

しかし、それを餌に皆から茶々が入ったり、質問が出たりするので大盛り上がりである。

YU君が久しぶりのゴルフのスコア(93)の自慢をした途端、そのライバルのNJ君が実はそれを1打上回るスコア(92)を昨日出した、と大自慢をしてYU君に最敬礼させる場面があったり、 3級障害者だと自慢?したら、俺は1級障害者だと自慢にもならない自慢をしたり、会場は爆笑の渦であった。

12時から3時まで猛暑日の昼の宴はまたたく間の時間だった。

9月には、みちのくオープン(岩手)、10月にはYU君の古希記念ギターリサイタル(東京、福岡)、11月には全国同笑会総会(福岡) 、12月には今回初参加のKM君発案の琵琶湖オープン(滋賀)、と我が同笑会のイベントは目白押しである。

楽しき哉! 我が附設人生!!

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(集合写真はST君撮影を拝借)

前列左から、西木戸、河北、鶴、和田、橋爪
中列中腰、古賀、瀧澤、児玉、小嶺 
後列、白土、大村、野尻、山浦、北村、橋本、甲木、野田、一ノ宮 

多摩夢竹とんぼの会

毎回楽しみにしている、「多摩夢竹とんぼの会」に久しぶりに参加した。

毎月第一土曜日に開催されるがいろいろと都合が重なり3ヶ月ぶりの参加となる。

国際竹とんぼ協会の中の一つのグループであるが、分けへだてのない、オープンなグループなので毎回楽しみである。

今回も、遠くは愛知県から参加したメンバーSさんもいる。

彼は私のために自宅で育てている「おだまき」の種をわざわざ持参してくれた。

有難いことである。

今日は22名集まった。

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特別なワークショップはなかったので、皆さん思い思いの工作を楽しんだ。

私はミニスーパー竹とんぼの羽根材を2機分作った。

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反省会はいつもの「旬」。

18名が参加した。

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昼間暑かっただけに、駆けつけで飲んだビールは格別であった。

ここでの話題は竹とんぼに限らない。

「今」を楽しむ仲間の生活ぶりや知恵が開陳される。

今日はデジカメでシャープな画像を撮るテクニックをOさんから教わった。

いつも、何かしら得ることのある会である。

世話人のMさんご夫妻に多謝である。 

お泊り

K君から、金曜日にR君がゴルフのために泊まりに来るので泊まりに来ないか、という連絡があった。

ゴルフはやらないが友との語らいは大歓迎である。

金曜日は生憎「あすぱる」での竹とんぼ教室の日であったが、教室が終わり次第駆けつけた。

6時半頃K君の家に着いたが、すでにR君、更にM君も到着していた。

夕食はK君が手料理でもてなしてくれるという。

7時に友人4名とK君の奥様を交えての宴が始まった。

今回は中華料理でもてなしてくれた。

前菜に始まり、鯛の中華風刺身、五目旨煮、えびと卵炒めなど本格的な料理が次々と出てきた。

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飲み物はビールの他、酒、焼酎が準備してあった。

酒は浦霞である。

ビールで乾杯の後は浦霞の冷酒を所望した。

私は仙台赴任中に浦霞は事ある毎に飲み、その美味しさは十分承知していたが、体調を考えてビールのみで我慢した。

話題は住んでる家や家族のこと、特に親の介護の事が多かった。

4人ともすでに親はおらず、これからの介護はないが、これまで経験した苦労話などを披露することが多かった。

楽しい語らいとともに、美味しい酒と8品の中華料理を堪能したあとは場所を移してカラオケ大会となった。

場所を移したといっても同じK君の家の別室である。

隣近所がないので大きな声を出しても怒鳴り込まれることはない。

カラオケといっても、当然新しい歌は歌えない。と言うか知らない。

三橋美智也、森繁久彌、倍賞千恵子、石原裕次郎など古い歌ばかりである。

「仰げば尊し」まで出てきた。

ワインを飲みながら、延々1時過ぎまで歌っていたが、明日はゴルフ組がいるのでそろそろお開きとなり布団に入った。



今朝は6時半に起きた。

途中一度目を覚ましたがよく眠れた。

7時過ぎに朝食。

純和風の朝食を用意してくれた。

R君、K君はゴルフのため8時頃出掛けたが、M君と私はゆっくりとさせてもらい、9時半においとました。

その後、二人で近隣の美術館に行き、シャガール、モネ、レンブラントなどの絵を鑑賞した。

ここの美術館は幅広いジャンルの作品を収蔵し公開している。

入り口には何やら得体のしれない造形物が置いてあった。

著名な美術家の作品のようである。

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絵画鑑賞はそこそこにして、隣接している3万坪の庭園を散策した。

700種類を超える樹木や草花のある庭は今一番いい季節であり、小一時間も緑に浸っていると心が洗われるような気分になる。

庭園の出口ではカルミアの花が咲き誇り、去りゆく人々の心を華やかにしていた。

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一泊二日の友人宅のお泊りは昼過ぎに終了した。

中身の濃いお泊りであった。
 

中滝会

2時から、大学を卒業して最初に入った企業(中滝製薬工業)のOB会が日本橋の東京薬業厚生年金会館で開催された。

デッキを仕上げたあと、急いでお昼を食べて、駆けつけた。

デッキのブログは電車の中でスマホで投稿した。

無事に投稿できたようだ。


中滝製薬は入社して5年でカネボウに合併されたが、当時の社員で中滝会というOB会が組織され、その後年1回のペースで面々と続けられている。

企業が消滅して40年経ってもOB会が存続している例はあまり知らない。

今年は52名のOBが参加した。

私は若い方である。


会場へ行く途中、会社があったビルの前を通った。

日本橋本町3丁目にある。

この近辺は、大阪の道修町と並んで薬業のメッカである。

ビルはほとんど当時のままだった。

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ビルの名前も当時のままである。

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「ワカ末」とは止瀉剤で中滝製薬の看板商品の一つであった。

年配の方は知っている方が多いだろう。

今は巡り巡ってクラシエという会社が扱っている。

懐かしい思いで通り過ぎた。
 

中滝会は非常に雰囲気のいいOB会である。

それは当時の上下関係を引きずっていないからである。

先輩ヅラ、上司ヅラをする人が一人もいない。

挨拶も参加した中で最長老の人が乾杯の音頭をとるだけである。

あとは 無礼講。

思い思いのテーブルを回って昔話をし、近況を語り合う。

最後は世話人の一本締めでお開きとなる。

勿論このあと三々五々神田の街で2次会に繰り出す。

酒の人もあればコーヒーの人もある。

最近は麻雀という声を聞かなくなった。

私はいつも酒であるが、今回は自重した。

珍しいことをしたので帰りに雨に会った。
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