「見沼散人」の身の丈生活

頑張らない。欲張らない。見沼の里のわび住い日記。
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雨の日には本棚を整理して

五木寛之の「雨の日には車をみがいて」ではないが、今日の雨の日に書棚の整理をした。

近々、部屋の模様替えをしようと思うので、溜まった書籍の一部を整理することにした。

単行本、文庫本、新書など150冊余りを取り出し、車に積んでブックオフへ。
ブックオフ

20分ほど待たされて、値が付いた本は124冊。
ブックオフ

あとの30冊ほどは値が付かなかった。

付いた値段は以下の通り。
ブックオフ

何とも情けない。

久々の読書

久々に読書らしい読書をした。
1冊は「悲劇の洋画家 青木繁伝」
あと1冊は「青木繁と坂本繁二郎」
いずれも青木繁に関する著書である。

前著は青木繁を人間的な面からとらえてその生涯を小説風に著している。
後著は同郷、同年の親友でありライバルであった坂本繁二郎と対比させてその芸術的な本質を浮き彫りにしてる。

両著とも、青木繁海の幸会の事務局長YOさんの推薦の本である。

この2冊で青木繁の人間性と芸術性が理解できた。

天才と言われた青木繁が若くして不遇の死を遂げたのはその生い立ちや上昇志向の強さに関係しており、荒削りながら日本の洋画史上に輝く名画を残したのは彼の浪漫主義と詩人的資質に大いに関係しているようである。

青木繁は絵画のみならず短歌や小文にも秀作を残しており若き天才ぶりを発揮している。

今もなお多くの美術家や美術を志す人が彼の形骸を求める理由がよく解った気がする。

ほのぼのとまだ明けやらぬ春の海 鷗のゆくへ追ふ夢ごこち

今日明日とただかりそめの草枕 旅に三とせを重ねけるかな

「シニアよ、ITを持って地域にもどろう」を読む

アマゾンから本が届いた。
「シニアよ、ITを持って地域にもどろう」という単行本である。

ITスキルを持つ団塊の世代が定年退職後地域社会へ回帰しマンパワーを発揮する為のステップを平易な表現で説いている。

我が「どこ竹@竹とんぼ教室」の代表幹事堀池喜一郎さんも共著者として第2章、第3章を受け持っておられる。

会社勤めであった団塊世代のほとんどは仕事柄パソコンを使い、ITのスキルを多少なりとも会得していると思われるが、退職後そのスキルを活用して地域社会で力を発揮するチャンスを具体例を示しながら紹介している。

タイトルからすると、高度なITスキルを持って地域社会に専門的な貢献をする、という感じを受けるが、そうではなく、ITスキルは単なる手段であって、地域社会に入り、活動する時に大変役に立つということを訴えているように思える。

自分に合ったボランティアや市民活動を探す時、活動を始めてからのネットワーク作りなど、今持っているITスキルで十分活用できるようである。

また、ITのことよりも地域活動の現状や、効率よく活動する為のノウハウがふんだんに紹介されており、これから地域活動をしてみようと思いながら二の足を踏んでる人たちにとっては良い入門書である。

実際、私も今住んでいる川口でインターネットを使って興味のある地域活動を探してみた。
すると、市の育児支援課が管轄しているプレイリーダー活動というのがあり、市で認定されたプレイリーダーがいくつかの公園で週に3日ほど、集まってくる子供たちにいろんな遊びを教えたり一緒に遊んだりする活動があった。
そこでは「竹とんぼ作り」はまだ取り入れられていないようなので、自分の力を発揮するチャンスがあるのかなと思っている。

この本は構成が準備から実際まで順序良く組み立てられており、文章も平易で、読者に地域参入の敷居を低くしてくれる本である。

「リーラ」玄侑宗久

自殺した女性の気配が彼女を取り巻く人々に現れる。それは母であり弟であり、父であり、恋人であり、ストーカーした男へであった。
その一人一人に焦点を当てて、女性との関わりと現れる気配を通して死というものを描いている。

生きることも、死ぬことも、神の庭での遊戯(リーラ)であり、すべてご縁にまかせられている。そして、すべてつながっている。と言っている。

良く分からないが、それでいいのだろう。曖昧でいいのだ。

リーラ

「祝福」 玄侑宗久

主人公は上野、不忍池で偶然知り合った中国の女性と互いに惹かれ合って結ばれる。
だが、結婚を前にして彼女は倒れ植物人間となる。治る見込みは無いながらも主人公は婚姻届を出し、妻の面倒を見る。
10年の歳月は流れるが、いまだ目覚めぬ妻を看病し愛おしむ。
主人公の看病に、たまに瞼を動かす妻の反応を確かめるように。
そしてその反応を彼女の自分に対する祝福であると感じ取る。

坂本真典氏の500枚の蓮の写真を見せられ、それを題材に玄侑が書き下ろした短編小説。蓮の写真と小説のコラボレーションである。
ふんだんに挿入された蓮の写真が妖しくも哀しく物語を引き立てる。

祝福

「中陰の花」玄侑宗久

著者の芥川賞受賞作だがその割にはインパクトの薄い作品である。
人は死んでから成仏するまでの間(仏教で49日、ここでは中陰といってるようだ)は、関係のあった人々に何かシグナルを送っている。それを感じる人は、何か日常とは違った異変が近辺で起こる。ということを言ってるようであるが、心深く感じ取れない。
拍子抜けの作品である。

中陰の花

「水の舳先」玄侑宗久

第124回芥川賞候補に上った著者のデビュー作。
「霊泉」に救いを求めて長逗留する久美子の死を通して、禅僧「玄山」が死に行く人の心の移ろいを描く。
悲壮感無く、あっさりと死を描き、死の恐怖を与えないようにしているが、これは著者の死生観なのであろう。
霧晴れて 水の舳先に 海近し
という、登場人物に詠ませた句にもそれが表れているように思う。
このように心穏やかに死を迎えられる人はどれ位いるのであろうか。

水の舳先

「隣りの女他」向田邦子

向田邦子の短編集。隣りの女、幸福、胡桃の部屋、下駄、春が来た、の5編を収載。
いずれも昭和55年から56年にかけて雑誌で発表したものである。

向田独特の軽快な文章リズムで、日常生活の中での男と女、親と子の関係をテンポ良く描いている。
ほのぼのとしたエロも交え、情愛豊かに表現した人間関係につい引き込まれてしまう。
さすが、天才向田邦子である。

隣りの女

「日本国債上・下」(幸田真音)

夕べから読み始め、つい引き込まれて上下巻一気に読み終えた。
日本国債の発行をめぐって、官界と金融機関、ディーラー対ディーラーの戦いを複雑に絡ませながら物語は展開する。
幸田らしく女性ディーラーを中心にしたサスペンス風の小説であるが、ディーリングという武器で政府の無能さを糾弾したり、特定の金融機関を罠に嵌めたりする変化のあるストーリーである。
最後はめでたし、めでたしで終わるが、時の総理大臣まで絡ませたりするのは無理があり、折角の経済小説を現実離れしたものにしている。

日本国債〈上〉

日本国債〈下〉

「銀河鉄道の夜」宮澤賢治

小さいときは事ある毎にいろんなことを空想していたように思う。
それが歳を取るに連れて無くなった。なぜだろう。
きっと未来への期待がなくなるからだ。

ジョバンニは仲のいい友達カンパネルラと意地悪な子ザネリとお祭りに行く。
途中はぐれてしまったジョバンニは、草むらに寝転んで銀河を列車で旅をする夢をみる。そこにはカンパネルラも一緒だった。
銀河を旅しながら二人は、この世ではありえないようなものを見たり、人に会ったりする。
その景色はとてもきらびやかで幻想的である。
やがて列車で一緒になった人々は降りてしまい、最後には二人きりになる。
二人はどこまでも一緒に、みんなの本当のさいわいを探しに行こうねと誓う。
しかし、その矢先、カンパネルラが居なくなる。

そこでジョバンニは現実に戻った。そして、みんなのいるお祭りの場所へ行くと、カンパネルラが川にはまっていなくなっていた。しかも、おぼれそうになったザネリを助けたあと、川に流されてしまった。

ジョバンニは親友の死を夢で経験していたのである。そして、途中までジョバンニは親友の死について行きながら美しい風景を見聞きしている。

賢治はジョバンニに臨死体験をさせたが如き描き方をしている。
そして、死ぬこととはこうゆうものであって欲しいなという願いを描いたのかもしれない。
でも、一方、現実的には意地悪なザネリが助かり、親友のカンパネルラが死んでいくという世の中の非条理をも訴えている。

読みようによってはいろんな解釈が出来る物語ではある。

新編銀河鉄道の夜
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