カテゴリ: 青木繁「海の幸」会

NPO法人青木繁「海の幸」会はその所期の目的を達成し、幕を閉じてから2年が過ぎた。

館山の 青木繁「海の幸」記念館 小谷家住宅 も順調に運営されているようである。

https://www.facebook.com/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E7%B9%81%E6%B5%B7%E3%81%AE%E5%B9%B8%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8-%E5%B0%8F%E8%B0%B7%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85-243628465992005/

今日は、会の理事長をしていた大村先生のお声掛りで同窓会が開かれた。

理事長の他に会の始めから関わっていた副理事長や二人の理事、会計担当、総務担当の6名が集まった。

場所も、青木繁の孫が経営する、高校生寄せ書きノートで有名な新橋の「有薫酒場」。

紆余曲折を経ながらも目的を達成した過程での苦労話がいろいろと出てきた。

突発した東日本災害の影響で寄付金集めが頓挫し、一時はどうなるか心配したのも、今では思い出話となってしまった。

「終わり良ければ全て良し」で同窓会も笑って過ごせる。

要所要所での大村采配が成功の源泉であろう。

有薫酒場の「おかみ」も時々参加しての同窓会だったがまたの開催が待たれる。

IMG_9261




    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

昨日7日は、「海の幸会」の仕事で急な呼び出しがあり、北里研究所へ。

IMG_6313_Moment(2)

吉岡事務局長と二人で、大村理事長の部屋で2時間半余り作業をする。

大村理事長はお元気そうで安心した。

相変わらず忙しさは変わらないようである。

大村さん2

作業終了後、事務局長のお誘いで、青木繁のお孫さんが経営する新橋の「有薫酒場」へ。

壊される久留米市民会館の「海の幸」の緞帳の一部を引き受けて頂けるようである。

久し振りに有明海名物の「はだらのポンポン焼き」、「ワラスボ」、「大川のちくわ」を食した。

熱燗には良く合う。

IMG_6314

帰りしなに、大将と女将と一緒に記念撮影。

素敵な女将です。

有薫2

飲んだ勢いで、同じ新橋にある「久留米館」へ。

久留米の名産物が並べてあるPR館である。

二階でお酒も飲める。

偶然、久留米から出張中に立ち寄ったという銀行員と遭遇。

共通する知人が数名いて話が盛り上がった。

久し振りに吉岡事務局長とゆっくり飲めて良かった。

久留米館
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

平成22年1月12日に設立された、NPO青木繁「海の幸」会が幕を閉じることになった。
この会は、夭折の画家青木繁の代表作「海の幸」(重要文化財)が誕生するきっかけとなった築150年の民家を修復・保存・公開するために設立された。
多くの紆余曲折はあったが、全国の画家を中心とした賛同者を巻き込み、平成28年4月29日に修復が叶い、小谷家住宅「青木繁海の幸記念館」として一般公開するに至った。

odanikeiriguchi

公開から1年半経った今、記念館には全国から多くの青木繁ファンの訪問を迎え賑わっている。
記念館館主の小谷福哲さんはその対応に大わらわの様である。

22528233_298712350536585_6178625121576727917_n

当会はそれを見届け、その役目が終わったものとし「千秋楽」を迎えることになった。

「千秋楽」は2月22日(木)九段下の「ホテルグランドパレス」にて快燦会(かいさんかい=解散会)と銘打って開催される。

快燦会では、当会の設立当初からの理事長で、ノーベル医学・生理学賞授賞者でもある大村智先生の45分間の講演があり、更に出席者全員に先生の色紙が贈呈される。

この快燦会で、これまで支援して頂いた皆様が、その労をねぎらい、喜びを分かち合っていただければ幸いである。

縁あって、設立当社から、事務局の末端を汚してきた散人にとっても感慨深い会になりそうである。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

青木繁「海の幸」記念館が公開されて一年余りが過ぎた。

この間3千数百名の入館者があったと地元の保存会から報告があった。

又、6月には、記念館のアプローチの途中に、青木繁「海の幸」記念館公開の碑が設置された。

さちやいかに いまだわがせは かへりこぬ おきゃ大島 波の音しぬ

という、青木繁が布良で詠んだ歌と共に、この記念館公開のために協力された700名余りの個人や企業・団体の名前が記されている。

170730-1DSC03463 (3)

170730-2DSC03467

170730-3DSC03424


先月、事務局長から、記念館訪問のお誘いを受けたが、体調が悪かったためお断りした。

近い内に訪問したい。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

青木繁「海の幸」会のY事務局長のお誘いで、北本市にある、「大村記念館」を会の仲間と共に14日訪問した。


「大村記念館」は「海の幸」会の理事長でもある大村智先生の研究業績や栄誉を顕彰するために、2012年、北里大学の北本キャンパス内に開設された。
大村先生がノーベル生理学・医学賞を受賞される3年前のことである。

記念館の展示室には、大村先生が受賞した国内外の賞状、メダルの他に抗生物質の分子模型や菌の電子顕微鏡写真やノーベル生理学・医学賞受賞の対象となった抗寄生虫薬「イベルメクチン」等の開発・研究プロセスが紹介されていた。



大村記念館微生物

更には、大村先生が蒐集されている絵画の中から、中国の偉大な教育者であり、画家でもあった「王森然」、日本を代表する抽象画家の「岡田謙三」の作品も特別展示室に展示されていた。

当日は記念館の職員の方から丁寧に詳しく説明をしていただいた。
これは私たちが訪問することを知った大村先生からの指示だったようだ。


記念館の後は北里メディカルセンターの病院内に展示されている絵画の数々を案内していただいた。


大村先生はかねてから、ヒーリングアートということを提唱されており、この病院でそれを具現化されている。

病院のエントランスホール、廊下、更には入院室にまで、先生が蒐集された作品や寄贈された作品が展示されている。
有名な画家のものあり、新人画家のものあり、ジャンルや画家にとらわれず幅広い絵画が展示してあった。
入院患者に限らず、訪れたすべての人に解放されてあり、患者の心を和ませ、治癒を促進させる助けになっているようである。

 

特に産科病棟には、女子美術大学とコラボして、病室のドアや面会室の壁、あるいはナースステーションに、プリント用の粘着シールを利用してメルヘンチックな絵が描いてあった。
病棟全体が美術館となっており、妊婦さんの心をやわらげ、従事するナースの方たちも仕事の間の安らぎになっているようだ。


最後に、特別に病院のヘリポートを案内してもらった。
救急患者搬送用のヘリポートが屋上に設置されてあり、ここから関東平野を360度一望できる。




あいにく、春霞に邪魔されて見ることは出来なかったが、天気のいい日には、筑波、赤城、秩父、更には富士山が望めるそうである。



2時半から2時間、北里大学の北本キャンパスをくまなく案内してもらい、大村先生のハードな面での業績だけでなく、ソフトな面での「人となり」を知ることが出来る貴重な時間となった。 
 
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

昨日から、いよいよ始まった。
オマージュ展としてはこれが最後になると思われる。


「ぎゃらりい サムホール」の全ての壁画には150の作品がほぼ五十音順に並べられていた。


日曜日に行われた搬入と飾り付けは大変だったらしい。

著名画家、無名画家、ベテラン、若手、無所属、更には会派を越えて多くの作品が一堂に展示される展覧会は他に例が無いらしい。

5時からのオープニングパーティーには会場に入り切れないほどの人が集まった。


事務局長も大変満足な様子であった。


このオマージュ展の売上げの一部は「海の幸会」への基金となる。

一点でも多くの売上げがあり、「海の幸会」の最後の活動資金となることを願いたい。

その為に展示された作品はどれも小作品になっており価格的に求めやすい設定となっている。

著名画家の作品もびっくりするような価格である。

パーティーの後は有志で二次会。

顔馴染みの画家、初めて声を交わす画家、それぞれに話が弾んだようである。


絵画には余り関心のない散人であるがそれなりに楽しめる。

終わって店を出たのは10時を過ぎていた。

三日連続の飲み会はちょいと辛い。




    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このところ、4つのタスクを並行してこなしている。

自然の家のボランティア、畑仕事、竹とんぼの材料作り、「海の幸会」の封筒作り。

自然の家、畑仕事は 普段からやっていることだが、今回は竹とんぼの材料を大量に作る仕事と「海の幸会」の封筒作りが特別に入ってきた。

全会員に「海の幸記念館」の公開のお知らせの封書である。

作業としては宛名シール作りと貼付、案内書の印刷と折り込み、資料の封入であるが今回大変だったのは折り込みだった。
A4サイズの資料2種類を長3の封筒に入るように3つ折りするのに一番時間がかかった。
他の仕事の合間に、特に雨の降った日を中心に進めた。

8月の初めに郵送する予定だったが雨が降った日が多く予定より早く出来上がった。
一段落である。


IMG_1816

あとは竹とんぼの材料作りに手が掛かっている。

ある小学校から、夏休みのイベントの中で竹とんぼの飛ばし体験をさせたいとの依頼が入った。
200名余りの児童が対象だという。
3つに分けて行い、同じ竹とんぼを持ち回りで使うので80機余りを準備すればいいのだが、くびれ竹とんぼを使うので作るのに手が掛かる。

これも何とか目途がついた。

IMG_1811

畑は今年の夏はどうも調子が悪い。
雨が多いせいか成長が遅れたり枯れたりしている。
トマトは大玉、中玉は全滅だった。

それに加えて雑草の成長は速い。
畑主泣かせである。

その中でも、ミニトマトとナスが順調なのが救いである。

IMG_1698
IMG_1701

特に実のしまった青ナスが良く採れるのでうれしい。

いよいよ8月、周りの畑主は秋野菜の準備をしなければいけないと言ってる。
そういえば、8月7日は立秋である。

俳句会の主宰からは秋の季語で投句しろと言ってきている。
暑さはこれからなのにどうも秋の自然を詠む気分にはならないがこれが俳句会のしきたりである。

今回の兼題は「生身魂」。

うーん、これも難しい。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

火曜日、水曜日と2日間は主にNPO法人青木繁「海の幸」会の仕事に明け暮れた。
先月末に特別理事会が開かれたが、その議事録案作成の作業がまだ出来ていなかった。

議事録そのもののパターンは決まっているので厄介ではないが、内容を取りまとめるのには頭を悩ます。
会議は和気あいあいの雰囲気の中で開かれるので、企業の役員会のように形式ばったところはなく、議題以外の意見も差し挟まれたりするので順序立てるのに苦慮する。

2時間余りの録音を早や回ししたり、繰り返し聞いたりしながら文章にしていく。
メモは一切取っていないので、録音が頼りである。
資料による細かい説明などは要約して載せる。

結果はA4にして4枚ほどの資料なので大層なことはないが、飽きてくると他のことをやりながらの作業なので出来上がったのは昨日の夕方であった。

その間、火曜日の夕方は畑に行って草取りをしたり、昨日は朝一番で和室にすだれの庇を作ったりした。

IMG_1731
IMG_1730

NPO法人青木繁「海の幸」会の会議の議事録作りもこれで最後と思われるが、今度は会員全員への海の幸記念館の公開のお知らせとご支援御礼のレターを出す作業が待っている。
中身は事務局長が作成されるが、宛名シールの作成、貼付など投函する作業は任されている。
600通余りあるのでちょっと大変ではある。
でも、楽しみながらやっていきたい。 
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

修復を終えた青木繁「海の幸」記念館の開館式が記念館の前庭で24日行われた。

2016-04-24_012030031_EE180_iOS

テープカットは小谷家当主、NPO法人青木繁「海の幸」会の幹部、館山市長、地元保存会の幹部、青木繁の子孫によって行われた。

2016-04-24_015920302_F66D1_iOS

メディアも大勢集まり、カット後のポーズを何度も要求され一同苦笑いだった。

植樹式も行われ、小谷家当主、海の幸会の大村理事長、地元保存会の嶋田会長により、コガネモチが植えられた。

2016-04-24_020147754_9C387_iOS

大村理事長も慣れない手つきで鍬を入れていたが、ノーベル賞のメダルよりも重かったに違いない。


開館式終了後は場所を富崎小学校体育館に移して祝賀会が行われた。

体育館には布良の町中の人が集まったのではないかと思われるほど大勢の人々が集まった。

2016-04-24_035335767_5ADF8_iOS

校庭では近くの布良神社の神輿が特別に出され祝賀の気分を盛り上げていた。
この神輿はお祭りの時以外は外に出ることはないそうで、記念館に対する布良の町の意気込みを表していた。

2016-04-24_023058234_F9F4C_iOS

祝賀会は関係4者の代表の挨拶から始まった。

2016-04-24_031047580_E520F_iOS

記念館を館山観光の目玉として末永く公開を続けていきたいという館山市長の決意を聞いて我々も胸をなでおろした。

ノーベル賞受賞者である大村理事長の挨拶には出席者の多くの関心が集まり、当意即妙の挨拶に一段と高い拍手が送られた。

2016-04-24_031102758_F5E20_iOS

テーブルには豪華な料理が並び、特に地元で獲れたと思われる魚を使った握り寿司は格別だった。

プライドの高かった青木繁も、自分が描いた1枚の絵が、100年余り後にこのような形でみんなの関心を集め、讃えられるとは寸毫も思わなかったに違いない。

青木繁「海の幸」記念館は4月29日より一般公開される。

2016-04-24_061216249_C933A_iOS

 
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

今朝19日の日本経済新聞の文化欄に、青木繁の「海の幸」が誕生した館山市の小谷家住宅の公開の記事が出た。
NPO法人青木繁「海の幸」会の事務局長、吉岡さんが寄稿された文章である。
これに関し、更に記者から2時間余りの取材を受けたという。

「簡にして明」

小谷家住宅の意義と会の活動を分かりやすく説明してある。

会が発足して7年、東日本大震災で挫折しそうになったが、そのたびに救世主が現れここまで来た。
吉岡事務局長の感慨もひとしおであろう。

20160419_nikkei2
 
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ